瓦屋禅寺

かわらやぜんじ

更新日
2022/06/17

    寺伝曰く聖徳太子が山中の土を用いて瓦を106,000枚から108,000枚造らせて摂津(大阪)四天王寺建立の際にその瓦を用いたのが寺名の由来とされます。

    瓦屋寺(かわらやじ)の名は聖徳太子より賜り、本堂中心の十一面千手千眼観世音菩薩立像(旧国宝・現国重要文化財指定)、四天王像四体(東近江市文化財指定)、地蔵菩薩座像は寺伝によると聖徳太子御作とされ貴重な宝物です。

    源仁により再興され華厳宗の東大寺の末寺であり一山四十八坊を抱える大寺として隆盛を極め、比叡山延暦寺の関係で天台宗時代もありましたが、永禄年間に織田氏の兵火に罹災し、惜しくも堂宇は悉く消失してしまいました。その後80年程の間は荒廃し世の無常さを感じさせましたが、江戸初期(正保年間)に奥州松島瑞巌寺中興雲居禅師が市内に伊達藩の飛び地があった関係で、高弟の香山祖桂禅師がこの古刹瓦屋寺の衰退を嘆き再興を誓い雲居禅師の篤志者であった八日市福原茂右衛門を願主に小堂を建立、梵鐘を吊って臨済宗妙心寺派の一寺として「瓦屋禅寺」が中興されました。

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    瓦屋禅寺

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