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和田古墳群

和田古墳群

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栗東市
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6世紀中頃〜7世紀にかけてつくられた古墳群で9基の古墳が存在します。現在、和田古墳公園として整備されており、5号墳の石室は復元して中を見学できるようになっています。出土した遺物は、隣接する出土文化財センターで展示しています。
※現在、出土文化財センターは公開していません。調査研究および団体見学のみの事前受付となってい...

西光寺の石灯籠

西光寺の石灯籠

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竜王町
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西光寺の鎮守、八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝で高さが2.8mもある背の高い灯篭です。
裏面に「応永(おうえい)28年8月8日(1422)願主敬白」の刻銘があり、室町時代初期の作とされます。
願主は不明。
当時の様式の多くは、丸柱の中央に周帯を有するものですが、この八角柱の灯篭は特に珍しく、また笠を持ち火袋には...

鏡神社

鏡神社

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竜王町
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南北朝時代の建築で「日本書紀」にも記されている朝鮮半島の新羅から製陶技術(渡来文化)を伝えた天日槍を祀る神社です。本殿は三間社流造り、屋根はこけら葺きで、国の重要文化財に指定されています。

一里塚

一里塚

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甲賀市
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一里塚は街道の両側に一里ごとに置かれたもので、東海道では慶長九年に江戸日本橋を起点として整備された。水口町域では今郷・林口・泉の三ケ所に設けられている。旅人のよき目印ともなったが、明治維新後いずれも撤去された。

大津事件の碑(露国皇太子遭難地の碑)

大津事件の碑(露国皇太子遭難地の碑)

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大津市
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明治24年、来日中のロシア皇太子が襲われた事件で、のちに司法権独立を守ったとして有名になったところです。

泣き地蔵

泣き地蔵

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栗東市
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その昔、旧信楽道のこの辺りには、旅人を泣かせるほどの坂があったことから、安全祈願のために花崗岩の巨石に薬師・釈迦・阿弥陀の三体の如来像が刻まれたと伝わる。

水口宿東見附跡

水口宿東見附跡

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甲賀市
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宿の東端に設けられたもので、枡形土塀と柵で区画し、木戸や番所を置き旅人を監視しました。これに対し宿の西端には西見附が置かれ、それぞれ「江戸口」と呼ばれました。「伊勢参宮名所図会」は水口の場面に東見附と付近の町並みを大きく描いています。

岩屋古墳 岩屋不動

岩屋古墳 岩屋不動

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竜王町
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岩屋古墳は、墳丘の全長が約36mの横穴式石室を埋葬主体とする前方後円墳です。
石室は、江戸時代に奥壁の一枚岩に不動明王を刻み、「岩屋不動」として信仰されています。石室の現状の大きさは、玄室の長さ5.4m、幅は奥壁部1.95m、玄門部で2.5m、高さは2.4m。
古墳自体の調査が行われてないため、明確な築造年代はわか...

野神神社(匂当内侍の墓)

野神神社(匂当内侍の墓)

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大津市
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野神神社(のがみじんじゃ)の境内にある墓。匂当内侍は足利尊氏(あしかがたかうじ)と対立した新田義貞(にったよしさだ)の妻で、たいへん美しい女性であったといいます。
 南北朝時代、足利尊氏に敗れた新田義貞は北陸へ落ち延びる途中に、妻の匂当内侍を堅田に残したまま越前(えちぜん)の藤島(ふじしま)で戦死します。この悲報を...

一豊・千代の像

一豊・千代の像

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米原市
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JR北陸本線坂田駅前木、「愛馬に乗った一豊公と千代夫人像『なでしこ』」があり、市内『功名が辻』ゆかりの地のシンボルとなっています。

法明院(フェノロサの墓)

法明院(フェノロサの墓)

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大津市
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性慶義瑞が開基の天台寺門宗。日本美術の恩人ともいうべきフェノロサの墓がある。

【法明院庭園】
 フェノロサ(1853-1908)の墓があることで知られる池泉回遊式庭園。庭園の場所は、彼が大絶賛したという絶好の景勝の地と伝えられます。雄大な琵琶湖と三上山の風景を借景にし、庭園は2段に分かれた構造になっています。...

正福寺(湖南市)

正福寺(湖南市)

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湖南市
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奈良時代、聖武天皇の勅願により良弁が開山したと伝えられる浄土宗寺院。平安期にかけて隆盛を誇っていたが、2度の火災があったが、木造大日如来坐像、木造十一面観音立像仏像は残った。木造地増菩薩半跏像などの貴重な文化遺産は難を逃れた。 5月下旬から6月上旬には、境内に並ぶ石仏を取り巻くサツキの花群の風景に出会います。

天保義民碑

天保義民碑

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湖南市
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天保13年(1842年)、代官の不正な検地に抗議するため、旧甲賀郡、旧野洲郡、旧栗太郡の総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。これが、歴史に有名な天保一揆である。検地を中止させ「十万日延期」の目的を達した。ただし、一揆のリーダーの庄屋クラスの農民達の払った代償も大きく、このときの一揆で犠牲になった祖先の魂をなぐさめ、...

八講堂千体地蔵

八講堂千体地蔵

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大津市
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山の辺の道沿いにある地蔵。昔八講堂があった場所の付近からたくさん発見された。

平家終焉の地

平家終焉の地

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野洲市
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野洲(やす)市は平家が果てた最期(さいご)の地です。平安時代末期、壇の浦の合戦で平家一門が滅ぼされ、一門の大将・平宗盛(たいらのむねもり)と息子清宗(きよむね)が鎌倉から京都へ送り返される途中、近江篠原(おうみしのはら)で斬殺されました。
 現在、屍(しかばね)を埋めたとされる宗盛・清宗親子の墓標がひっそりと立ってい...

茶臼山古墳

茶臼山古墳

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大津市
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茶臼(ちやうす)山(155m)中腹にある県下第2位の規模を誇る大古墳で国指定の史跡です。
 古墳時代前期に属する4世紀末から5世紀初頭のものと推定されています。彦坐王(ひこいますおう)とも大友皇子一族の墓ともいわれますが、被葬者については明らかではありません。
 全長122m・後円部径70m、高さ8m、前方部の長...

瑞雪院(近藤重蔵の墓)

瑞雪院(近藤重蔵の墓)

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高島市
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JR近江高島駅の西方約500mに位置する臨済宗東福寺派の瑞雪院(ずいせついん)の墓地にあります。
 近藤重蔵(1771-1829)は江戸時代末期の北方領土探険家で、特に、国後(くなしり)島・択捉(えとろふ)島や蝦夷(えぞ)地などの探険で有名です。1799年、初めて択捉島に標柱を立てて、この島の領土化と先住民の同化政...

近江風土記の丘

近江風土記の丘

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近江八幡市
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近江の歴史と文化を心ゆくまで満喫できるようにと、特に歴史的風土の豊かな安土城跡の近くに造られた歴史公園です。敷地内には県下から移築された旧安土巡査駐在所、旧柳原学校校舎、旧宮地家住宅の3棟の建造物や、常夜燈・道標などの石造物があり、また、安土城考古博物館では県内主要遺跡の紹介と考古学からみた縄文時代から古墳時代の歴史...

逢坂山関址

逢坂山関址

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大津市
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京阪電鉄大谷駅の東約100m、国道1号沿いに「逢坂山関跡」の記念碑が立っています。
 逢坂越は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝でした。
 古くから貴族や武将をはじめ、文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)がこの道を通過し、この関所や峠を題材にした作品が万葉集や古今集に多く残...

穴太地蔵

穴太地蔵

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大津市
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伝教大師最澄が六道に迷い苦しむ衆生を救うため六体を早尾のお堂に納め、のち慈覚大師円仁が広く衆生が石地蔵を拝めるように東坂本の6カ所に分置したと伝えられる。穴太地蔵はその一つで、曲がり角にあることから「まわり地蔵」とも呼ばれている。地蔵堂が集落の入り口にあり、病気や災いが村の外から入ってくるのを防いでいるという信仰から「...