石田三成出生地

いしだみつなりしゅつしょうち

更新日
2016/04/26

    市の東部、山東町との境界近くにある石田町は、戦国の武将・石田三成(1560-1600)が生まれた町であり、公民館前の石田家跡には、「石田治部少輔(いしだじぶしょうゆう)出生地」と刻まれた顕彰碑が立てられています。また、その付近には、一族と家臣の供養塔が、なだらかな横山を背景に立ち、ここから横山に向けてハイキングコースが設けられています。
     石田三成は、戦国時代に土地の豪族・石田正継の子として生れ、少年時代を隣町(米原市朝日)の観音寺で過ごしたと伝えられます。ある時、この寺に、鷹狩りの途中の豊臣秀吉(1537-98)が立ち寄り、茶を献じた三成の非凡さ(三碗の才)を認めて小姓にとりたてたという伝説があります。
     三成はその後、事務的な才能を買われ、25歳の時に従五位下、治部少輔に任ぜられ、豊臣政権五奉行のひとりとして活躍し、30歳で佐和山10万石(後に19万4000石)の領主となっています。しかし、関ヶ原の合戦で徳川家康と戦い善戦しましたが、小早川秀秋の裏切りで惨敗、京都六条河原で刑死しました。
     長浜駅前にも、秀吉と三成の観音寺での出逢いを再現した「殿様と茶を献じる小姓」の像が立てられています。

    所在地
    長浜市石田町
    アクセス
    北陸自動車道長浜ICから車で15分
    駐車場
    普通車 10 台
    お問い合わせ

    石田三成会館

    TEL
    0749-62-8285
    エリア
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