鬼室神社(鬼室集斯の墓)

きしつじんじゃ(きしつしゅうしのはか)

日野の街の北東約4km、小野集落中間南側の鬼室神社にある墓です。神社には鳥居と質素な本殿、石灯籠あるのみで、鬼室集斯の墓は本殿裏手にあります。
 高さ1mの石造の祠の中に、高さ48cmの八角形の墓石があり、一面に「鬼室集斯之墓」と彫られています。さらに左面には「朱鳥三年(668)戌子十一月八日歿」、右面には「庶孫美成造」と彫られています。
 鬼室集斯は、奈良時代の白村江(はくすきのえ)の敗戦後に渡来してきた百済人です。蒲生野へ移り住んだ700人以上の百済系渡来人の首長の1人で、鬼室王ともいいました。大和朝廷に仕えて天智天皇(てんぢてんのう)の信任を得て、学識頭(ふみのつかさのかみ)として日本の官史養成に務めました。古代史料にも、数多く彼の記事が出ています。晩年、職を辞してこの地で没したといいます。

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