長光寺城跡

ちょうこうじじょうせき

更新日
2017/08/29

    長光寺城のあった長光寺山は、別名、瓶割山と呼ばれています。この由来は、織田信長の命により配されていた柴田勝家が、近江の守護「佐々木」の軍勢に包囲され籠城策を取った際の逸話によるものです。籠城が長引くにつれ、貯蔵している水も残りわずかとなり、このままでは落城も時間の問題と思われたが、柴田勝家は、座して死すよりも将兵の士気を鼓舞し勝利を収めるため、残りの水を将兵に飲ませた後、その水瓶を自ら割って必勝を期し勝利を得たという武勇伝から瓶割城とも言われるようになったと伝えられています。
    長光寺城は、応仁の乱に際して佐々木氏も東軍と西軍に分かれ、長光寺城と観音寺城を互いの居城として戦いを繰り広げたところです。佐々木氏は最終的には織田信長により攻略され、安土城の完成とともにその役割を負え自然廃城になったようです。
    又、この山より産出される良質の花崗岩の石材により石工の名匠が誕生したことでも知られ、大阪城、聚楽第、方広寺大仏殿、三条大橋、江戸城、名古屋城、彦根城などを手懸けたとされる「馬渕石工」「岩倉石工」が桃山時代から江戸時代初期に全国で活躍しました。

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