松尾神社庭園

まつおじんじゃていえん

更新日
2015/06/23

    桃山初期の作庭といわれ、寺院叉は武家の書院に面した庭園機構です。当地には昔、延命山尊勝寺という東大寺所属の寺があって、松尾神社はその寺の鎮守であったと考えられるところから、当庭園もその機構と思われます。
     しかし、一説では、永禄9年(1566)奈良興福寺、一乗院に隠れていた将軍足利義昭が、近江に佐々木義賢を頼った時、将軍を迎えるために義賢が作庭したともいわれています。それは、同将軍が信長に追われて、朝倉義景を頼ったときも、義景が一乗ヶ谷の居城に作庭しており、その庭園と松尾神社庭園とが時代的にも、あるいは様式、手法なども全く同一であるところから類推されたもので、この地に豪族の邸宅があったことも考えられます。
     山畔に多数の石組を建てた豪放なものは、蓬莢石組。中央部一群の石組は、須弥山(しゅみせん)や、鶴亀島の形態を整えており、武家書院好みの力強い造園技術を偲ばせる名園です。

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