多賀大社

たがたいしや

延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社です。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並びます。
 神社を清流が囲み、太閤橋(たいこうばし)と呼ばれる石の反り橋を渡って門をくぐると、玉砂利を敷いた境内の向こうによく茂った木立を背に堂々とした風格を持つ本殿が建ちます。厳かな雰囲気が漂う境内には、本殿右に能舞台、左に絵馬殿が立っています。また、東廻廊の横にある石は、61歳の重源(ちょうげん)が東大寺を再建するために延命を祈願し、無事願いが叶ったたことを記念したもので、延命石と呼ばれています。拝殿などは、格天井が美しいといわれています。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。
 また、神社から少し離れた杉坂山に杉坂峠の杉と呼ばれる杉があり、御神木となっています。
<重文>紙本金地著色調馬・厩図(六冊屏風)一双

<コラム>---
お多賀さんとつり鐘

<お多賀さんとつり鐘>と聞いただけで「オヤッ」と思う人が多いことでしょう。そのとおり!「お寺とつり鐘」は当然でしょうが「神社とつり鐘」は大変面白い組み合わせです。
 明治までは神仏混合と言って大方の神社境内にはお寺がありました。
 このつり鐘は天文24年(1555)に浅井長政や佐々木一族らの手によって鋳造されたものといわれます。この時代以前のものは全国で380個が現存しており、大きさから言えば4番目に大きいといいます。明治の神仏分離のとき境内にあった仏像やお寺の門等は町内のお寺に移されましたが、このつり鐘だけはあまりの大きさにどこからも貰い手がなかったものと思われます。
 参拝の折に是非見てみたいものです。

【多賀大社奥書院庭園】
 旧不動院の奥書院北側に広がる池泉鑑賞式(ちせんかんしょうしき)庭園で、書院から庭を見降ろす珍しい形式になっています。豊臣秀吉が母大政所の病気平癒のお礼として太閤(たいこう)橋、太閤倉とともに寄進したものといわれ、安土桃山時代の作庭。国指定の名勝になっています。東北に築山を設け、自然の樹木を背景に正面奥に不動三尊石を組み、庭全体にも大きな石を配置しています。石組護岸(いしぐみごがん)で自然な曲線を表現している池は、鶴島・亀島と隅に枯(か)れ滝(たき)を配しています。滝の下に力感があふれる自然石の石橋を渡すなど、見どころが多い庭になっています。<史跡・名勝>多賀神社奥書院庭園

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