モデルコース

精鋭の将 井伊の赤鬼物語

日程
1日
エリア
湖東

国宝・彦根城と徳川四天王・井伊家ゆかりの地をめぐる

1
名神彦根IC
3.5km
  • 7分

表門の橋を渡ったところにある彦根城博物館は、市制50周年に当たる昭和62年(1987)に、記念事業の一環として、発掘調査や古絵図をもとに復元されたもので彦根城の表御殿跡にあります。
 「奥向(おくむ)き」と呼ばれる主に藩主の私邸にあたる場所で、大名の生活が昔を偲ぶそのままの姿で復元されています。また、「表向き」と呼ばれる政務が行われていた場所には、彦根藩ゆかりの品々が展示されています。関ケ原の戦いで井伊の赤備えと呼ばれ、恐れられた赤い甲冑(かっちゅう)などの武具や書画はもちろん、我宿蒔絵硯箱(わがやどまきえすずりばこ)や二彩刃貼花花唐草文壺(にさいとうはりばなはなからくさもんつぼ)などの美術工芸品や千代姫ゆかりの華麗な雛(ひな)道具は見ごたえがあります。また、廃藩置県による取り壊しを免れた能舞台があり、能衣装なども保管展示されています。

0.1km
  • 徒歩1分

姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。

<佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)>外側から見て向かって左側は、佐和山城から移築されたもので、国指定の重要文化財です。右側は、開国から100年を記念して鉄筋で作られたもので、「開国記念館」として彦根に関連する資料等の展示が行われています。

<天秤櫓(てんびんやぐら)>羽柴秀吉(はしばひでよし)の長浜城大手門を移築したといわれます。廊下橋を中心に左右対称に櫓が並び立つ姿が、天秤に似ていることからこの名が付きました。この櫓の形は彦根...

0.5km
  • 徒歩5分

(八景亭)彦根城の北東にある、大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の旧大名庭園。彦根城天守閣や茂った木々を背景に、大きな池に突き出すように臨池閣(りんちかく)が立ち、築山には鳳翔台(ほうしょうだい)があります。この鳳翔台(ほうしょうだい)は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿で、ひなびた趣のある建物。樹木・岩石・池を巧みに配し、池の周りに、湖南省洞庭湖(こなんしょうどうていこ)の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にちなんで選ばれた近江八景、竹生島(ちくぶしま)や沖の白石などを模して造られており、情趣のある庭になっています。鳳翔台では、抹茶を楽しむことができ、池に浮かぶ蓮や菖蒲(しょうぶ)の花が咲く初夏の季節は、花の香りが園内を包みます。楽々園とともに国指定の名勝です。<名勝>玄宮楽々園

0.5km
  • 徒歩5分

いろは松のわき道を北に入った旧中堀に面して立つ簡素な武家屋敷で、門前に碑が立っています。井伊直中の第14子として生まれ、5歳で生母を、17歳で父を亡くした井伊直弼(いいなおすけ)(1815-60)が、17歳から32歳までの15年間捨扶持わずか300俵の部屋住みの身として過ごしたところです。直弼は、ここで主に身心の修練に努め、禅の精神を茶の世界に学んだといわれます。「世の中をよそに見つつも、うもれ木の埋もれておらむ、心なき身は」と自身を埋木にたとえて詠んだ句にちなんで屋号がつけられたといわれます。邸内には茶室澍露軒(じゅろけん)が残っています。

1km
  • 徒歩10分

京橋通りにある浄土宗の寺。佐和山城の正門を移築されたと伝えられています。大坂夏の陣で戦死した、豊臣家の忠臣として名高い木村長門守重成(きむらながとのかみしげなり)を偲んで、重成忌が行われます。
 井伊道政の正室東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪(こうずけのくにみのわ)に建立された安国寺は、佐和山(232.5m)山麓へ移され、宗安寺と改名、その後彦根城築城のさい現在の地へ再度移転されました。元禄の大火で、「赤門(あかもん)」と呼ばれる朱塗りの佐和山城大手門を移築した表門が唯一焼け残り、現在の本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したものです。また、本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の時、淀君の念持仏(ねんじぶつ)と思われる仏像を持ち帰ったもので、鎌倉時代の作といわれています。その他、墓所には木村重成の首塚、唐人門、鐘楼、白砂に巨石を配した庭園があります。
 また、徳川の将軍が替わるごとに祝賀のため朝鮮国から来朝した朝鮮通信使節団高官の彦根での宿泊所であり、朝鮮王像が残されています。

2.5km
  • 10分

井伊氏の始祖、藤原共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行基(ぎょうき)によって遠江(とおとおみ)国(現静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心寺派の寺院です。井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天(こうてん)が佐和山(232.5m)山麓に移築しました。近郊に多くの末寺をかかえ、学僧が学ぶ大道場でした。
 潭龍寺垣と呼ばれる竹垣が続く参道を抜けると、緑の木々をバックに江戸時代中・後期に建立された禅寺らしいわびたたたずまいの山門や仏殿が見えてきます。江戸時代初期に建立された方丈(ほうじょう)は、彦根にある数少ない方丈建築の1つです。方丈襖絵前104面は、蕉門十哲(じゅってつ)の1人森川許六(もりかわきょりょく)によって描かれたもので、東庭とともに市指定の文化財になっています。寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼(なおすけ)の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っています。また、藍渓和尚伝来の七福神も拝観できます。毎年4月1、2日にだるま祭りが行われます。

【龍潭寺庭園】
 龍潭寺に禅宗の大学寮があり、その中に園頭科(えんずか)があ...

2.5km
  • 10分

城下町を一望できる丘の上にある曹洞宗の寺。秋になると萩の花が咲き、別名萩の寺ともいいます。井伊直中(なおなか)が、腰元若竹(わかたけ)の不義をとがめ罰しました。その後相手が自分の息子とわかり、自分の過失を認め、腰元と初孫の菩提を弔うために創建したといわれます。本堂は簡素な造りですが、建立当時の特徴がよく表われています。境内の十六体の羅漢(らかん)像は、16ケ国の大名から贈られたものといわれています。京都の名工駒井朝運(こまいちょううん)に刻ませた木造五百羅漢(ごひゃくらかん)は、「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」と云われるほど、必ず自分の探し求める人の顔があるといいます。庭は直弼(なおすけ)好みの借景の石州流庭園で、羅漢堂の東に地蔵像があり、山門脇に直弼の供養塔や直弼の参謀格だった長野主膳(ながのしゅぜん)の墓、たか女の碑などが寺院内にあります。

【天寧寺庭園】
 井伊直弼公の好みで作られた石州流庭園。井伊直弼公供養塔、長野義言歌碑、仏足石なとが、城下町を一望できる明るい丘の上に立っています。

●近江七福神「布袋尊」

12km
  • 30分

湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)によって再興されました。
 門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行(しゅぎょう)道場として栄えたことがうかがわれます。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨(ひだ)の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されています。
 本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築です。鎌倉の様式がよく保存され、国宝第一号に指定されています。
 本堂の右方に立つ三重塔は、総檜(そうひのき)の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。正面両脇に増長天(ぞうちょうてん)、持国天(じこくてん)を祀る二天門は、室町時代に建立され、重要文化財に指定されています。
 また、紅葉の名所としても有名ですが、不断桜...

3km
  • 5分
10
湖東三山スマートIC