モデルコース

湖東路の名刹・庭園めぐり

日程
1日
エリア
湖東

(八景亭)彦根城の北東にある、大池泉回遊(だいちせんかいゆう)式の旧大名庭園。彦根城天守閣や茂った木々を背景に、大きな池に突き出すように臨池閣(りんちかく)が立ち、築山には鳳翔台(ほうしょうだい)があります。この鳳翔台(ほうしょうだい)は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿で、ひなびた趣のある建物。樹木・岩石・池を巧みに配し、池の周りに、湖南省洞庭湖(こなんしょうどうていこ)の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)にちなんで選ばれた近江八景、竹生島(ちくぶしま)や沖の白石などを模して造られており、情趣のある庭になっています。鳳翔台では、抹茶を楽しむことができ、池に浮かぶ蓮や菖蒲(しょうぶ)の花が咲く初夏の季節は、花の香りが園内を包みます。楽々園とともに国指定の名勝です。<名勝>玄宮楽々園

8.2km
  • 15分

延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社です。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並びます。
 神社を清流が囲み、太閤橋(たいこうばし)と呼ばれる石の反り橋を渡って門をくぐると、玉砂利を敷いた境内の向こうによく茂った木立を背に堂々とした風格を持つ本殿が建ちます。厳かな雰囲気が漂う境内には、本殿右に能舞台、左に絵馬殿が立っています。また、東廻廊の横にある石は、61歳の重源(ちょうげん)が東大寺を再建するために延命を祈願し、無事願いが叶ったたことを記念したもので、延命石と呼ばれています。拝殿などは、格天井が美しいといわれています。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものです。
 また、神社から少し離れた杉坂山に杉坂峠の杉と呼ばれる杉があり、御神木となっています。
<重文>紙本金地著色調馬・厩図(六冊屏風)...

1.4km
  • 3分

足下に名神高速道路を見下ろす眺めの良い丘の上に立ち、寿福・延命に御利益があると伝えられています。青龍山(せいりゅうざん)の巨石信仰が起源といわれ祭神は多賀大社と同じ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)。もとは敏満寺(びんまんじ)の鎮守社であったので、敏満寺の境内であったといわれる場所に建っています。敏満寺は聖徳太子開基の天台宗の寺院で、湖東三山と並ぶほどでしたが、戦国時代に兵火により焼失してしまい廃寺となり、神社だけが再建されました。現在は胡宮神社の境内に金堂や大門跡が残っています。鎌倉時代前期の銘がある境内の銅製五輪塔は、重源(ちょうげん)が延命祈願をして願いが叶い、寄進をしたものと伝えられ、国指定の重要文化財になっています。
<重文>銅製五輪塔

【胡宮神社社務所庭園】
 室町時代末期の作庭で、書院から眺めるように作られている鑑賞式林泉園(かんしょうしきりんせんえん)です。社務所は、敏満寺(びんまんじ)の福寿院でした。
 前方の池泉と後方の築山の調和が絶妙で、一部石組みが植え込みに隠れていますが、全体的に清楚で落ち着きが漂う庭になっています。浮...

3.8km
  • 5分

足利尊氏とともに室町幕府創建に活躍し、その豪放無比な言動から婆裟羅(ばさら)大名と呼ばれた佐々木道誉(どうよ)(京極導誉(きょうごくどうよ)、1296-1373)が建立した臨済宗建仁寺派の寺院で、開山は雲海(うんかい)和尚です。
 境内には大池があり、勝楽寺が兵火にみまわれた際には、この池のおかげで六脚門・大日堂・大日如来像などが焼失から免れることができました。特に道誉の念持(ねんじ)仏といわれる本尊の大日如来像は、藤原時代の作といわれる秘仏で、その秀麗な姿は際立っており、国指定の重要文化財になっています。
 また、六脚門は室町時代の建築様式をよく残し、町指定の文化財になっています。境内横には兵火と風化による損傷が目立つ宝篋印塔があり、佐々木道誉の墓茶道・華道・能楽などの文化芸術に大きな関心と理解を持ち、秀れた文化人でもありました。この勝楽寺に41歳の時から78歳で亡くなるまで隠棲し、尊氏(たかうじ)や義詮(よしあきら)の部下としてだけでなく、相談・指南役として活躍しました。
<重文>木造大日如来坐像 絹本著色佐々木高氏像

2.7km
  • 5分

湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。戦国時代には兵火のため荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)によって再興されました。
 門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行(しゅぎょう)道場として栄えたことがうかがわれます。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨(ひだ)の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されています。
 本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築です。鎌倉の様式がよく保存され、国宝第一号に指定されています。
 本堂の右方に立つ三重塔は、総檜(そうひのき)の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。正面両脇に増長天(ぞうちょうてん)、持国天(じこくてん)を祀る二天門は、室町時代に建立され、重要文化財に指定されています。
 また、紅葉の名所としても有名ですが、不断桜...

4.1km
  • 3分

湖東三山の一つで、奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基が開山した天台宗の寺院。本尊は行基の作と伝えられます。また、源義経(みなもとのよしつね)が義仲追討の武運必勝を願い太刀を寄進したり、北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたといわれます。 山門から本堂までサツキに囲まれた石段が続き、山岳城郭であったころの趣を今なお残しています。石段を登りつめたところに、当時の僧の機智により織田信長の焼き打ちによる焼失の難を免れた本堂大悲閣、三重塔、二天門があります。本堂大悲閣は、鎌倉時代の和様建築の代表とされ、国宝に指定されています。本堂前にある二天門は室町時代の建立で、最初、八脚門と呼ばれる楼門でしたが、江戸時代に二階部分が取り壊され現在の形になりました。三重塔は大悲閣(だいひかく)より古いものですが、荒廃したままとなっていたため、昭和49年(1974)復元されました。 ツツジやシャクナゲの名所としても知られ、山門脇に塔頭の常照庵(じょうしょうあん)が草むらに埋もれ残っていて、寺宝にも見るべきものが多いです。また、厄除けのかぶら汁が接侍される初観音や、大きな数珠(じゅず)を回し...

8.6km
  • 10分

重厚な石垣に覆われた『山城』の趣が漂う天台宗の寺院。
近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建された。
龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わる。
開闢法要には、高句麗僧恵慈をはじめ百済僧道欽が仕え、暦を伝えた観勒も永く住したと言われている。
その後、鎌倉時代には、「天台別院」と称され中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火、とくに天正元年4月11日に信長の焼討を受け、ルイス・フロイスは『地上の天国:Facusangi一千坊』の消失を惜しんでいます。
江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。
往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。
<重文>絹本著色日吉山王神像、紺紙金泥妙法蓮華経入黒漆蒔絵函、金銅唐草文磐、桧皮葺本堂。
<備考...