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徳源院(しがのフォトコン‼2019)

※新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、当面の間拝観休止中です。

 弘安9年(1286)、京極氏の初代氏信が建立。京極家歴代の菩提寺である天台宗の寺。京極氏は、鎌倉中期に近江で勢力を振るっていた近江源氏佐々木氏から分かれ、家名は氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことによります。
 国の史跡に指定されている墓域には一族の墓が存在し、閑静なただずまいを見せる境内に、本堂、位牌殿、三重塔などを有します。なかでも朱塗りの三重塔は、寛文12年(1672)に讃岐丸亀藩主であった京極高豊が建てたもので、県の指定文化財になっています。
 寺地は、もと氏信の柏原館があったところで、本堂裏に、裏山を取り込んだ回遊式の庭園があり、春には道誉桜と称されるしだれ桜が趣きを添えます。堂前に群生する萩が咲きこぼれる秋の風情も、また格別です。

<京極家墓所>
 京極家の菩提寺・徳源院(とくげんいん)(清滝寺(きよたきでら))の本堂裏手の山麓にあります。上段の始祖氏信(うじのぶ)を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む、歴代当主の墓碑宝篋印塔(ほうきょういんとう)が18基。下段には、それ以降の当主や分家やらの宝篋印塔14基と、淀殿の妹・はつをめとった京極高次(たかつぐ)の墓石などが、整然と並んでいます。
 京極家は、浅井氏の台頭とともに一時期衰え、寺も荒れましたが、寛文12年(1672)高豊(たかとよ)が境内に三重塔(県の指定文化財)を建てて以来、勢力を取り戻しました。この時、付近に散在していた墓を一カ所に集めたといいます。
 塔の大きさは様々で、京極家の栄枯盛衰を表しています。現在、国の史跡および県の史跡に指定されています。
<史跡>清滝寺京極家墓所

撮影場所

米原市

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徳源院(清瀧寺)・京極家墓所

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