モデルコース

古代万葉ロマンの旅

日程
1日
エリア
東近江

東近江市の八日市大凧は、今から300年以上も前の江戸時代中期に、男子出生を祝って揚げられたのがはじまりです。大きいことで知られる八日市大凧の雄大なイメージに合わせて、世界凧博物館東近江大凧会館の屋根は、大きな片勾配がつけられています。凧に関する公的博物館としては、全国で3番目の建物です。
 内部には、まつりで飛揚された100畳大凧(縦13m・横12m・重量700kg)や多くの凧に関する資料が常設展示され、その迫力は必見です。八日市の大凧だけでなく、日本各地の凧や世界の凧も収集展示されています。

3.2km
  • 10分

「勝利と幸福を授ける神様」として信仰される太郎坊宮。
古くから「神験即現(しんげんそくげん、神様のご利益がすぐに現れる)」の大神とたたえられ、
聖徳太子をはじめ、伝教大師最澄や源義経などの尊崇を集めました。
現在はプロスポーツ選手を始め、第一線で活躍する企業経営者、政治家、職人、ビジネスマンなど、業種を越えた多くの方々が太郎坊宮の大神様のご利益を仰がれます。

その歴史は古く、約1400年前の創建と伝わります。
神宿る霊山として尊ばれた「赤神山(あかがみやま)」に霊威を感じた聖徳太子が、神祀りをされたことに端を発します。

また、境内にそびえ立つ「夫婦岩(めおといわ)」は壮大で、20メートルに迫る大岩の間に幅80センチの間道が通ります。「善良な人が通れば願いが叶い、悪心ある人が通れば挟まれる」との言い伝えも残ります。

3.2km
  • 10分

近江鉄道市辺駅のすぐ北方の船岡山の頂上にあります。自然の巨岩に「元暦校本万葉集」の原本そのままの文字を彫りこんだ石板がはめこんであります。
 歌は、「茜(あかね)さす紫野行き標野(しめの)行き野守(のもり)は見ずや君が袖ふる」(額田王(ぬかたのおおきみ))「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故(ゆえ)にわれ恋ひめやも」(大海人皇子(おおあまのみこ))という有名な相聞歌(そうもんか)です。額田王は大海人皇子(のちの天武天皇(てんむてんのう))と愛し合いましたが、のち彼の実の兄である天智天皇の寵愛を受けました。この歌は、蒲生野遊猟のときに交わされたもので、人目もはばからずに袖を振って見せる大海人を額田王が咎(とが)めたのに対し、大海人が大胆にも人妻である額田王への激しい恋情を歌い返したのであります。
 額田王はもと大海人の妃であったのですが、この頃には天智天皇の後宮に入っており、この3者には極めて複雑な事情がありました。それを背景に描かれた相聞歌が万葉ロマン読者の心を打ち、万葉愛好者を育てるきっかけとなったともいわれます。船岡山のふもとには、約100種類の万葉植物を...

6km
  • 10分

東近江市・近江八幡市及び竜王町にまたがる雪野山(308.8m)の山頂にある4世紀中頃の古墳。平成元年(1989)に全国でも珍しい未盗掘の状態で発見され、話題を呼びました。墳頂部に竪穴式石室1基があり、副葬品も多く出土しました。
 竪穴式石室の基軸は南北方位で、材質は壁面・天井石ともに湖東流紋岩です。床面に粘土床を設置してあり、その上に木棺の痕跡がありました。副葬品は、銅鏡・鋤形石・琴柱形石製品・鉄製の刀剣や農耕具・土器など貴重な物が多くあります。特に、邪馬台国の女王卑弥呼が中国から賜わったといわれている三角縁神獣鏡には、59文字の銘文が刻まれており、当時を知る上で貴重な資料です。

3.4km
  • 5分

この公園は、滋賀県史跡木村古墳群の保護と活用を目的に復元した史跡公園です。また、この古墳群は5世紀を中心とした古墳群で、天乞山古墳と久保田山古墳の2基を原寸大に復元しました。 この公園は、古墳を正しく理解するために活用し、また楽しく歴史に親しんでもらうために作られたものです。◆天乞山古墳(9742平方メートル):2方向の造り出し付き方墳◆久保田山古墳(5256平方メートル):2方向の造り出し付き方墳 ◆多目的広場(1704平方メートル)

5km
  • 15分

近江鉄道桜川駅の北東約2.2km、前方に布引山(ぬのびきやま)(261.9m)が横たわっている天台宗寺院。阿育王山(あしょかおうざん)という山号で、開基は聖徳太子によると伝えられています。山門の入口に「阿育王山」の額が掛かっており、赤松林の中の石段を登ると特異な形態をした三重石塔がそびえ立ちます。そして広場一帯を、何万という数の五輪塔や石仏の群が埋めつくしています。三重石塔は、奈良時代前期の作とされ、三重石塔としては日本最古・最大のもので国指定の重要文化財です。屋根は緩く膨れており、塔身は縦長、一番下の塔身は二枚石を合わせ、上部の安定をはかっています。三重塔東側の五輪塔2基とその横にある宝塔も、国指定の重要文化財です。
 寺伝によると、釈迦入減(にゅうめつ)後100年、阿育大王(あしょかだいおう)がインドを治めたとき仏法の興隆を願って8万4千の塔婆(とうば)を造り、それに仏舎利(ぶっしゃり)を納めて三千世界に撒布しました。平安時代、唐に留学した寂照(じゃくしょう)が近江国にもその1つが埋まっているとと聞き、日本へ向けた手紙を紙を木箱に納めて海中に投じました。3年後にこの箱が明石浦に漂...

2km
  • 6分

洋画家の野口謙蔵画伯(1901-1944)のアトリエを改修し、野口画伯の遺品や作品の複製などを展示した記念館です。野口画伯は、蒲生郡桜川村綺田の酒造業を営む家に次男として生まれ、東京美術学校洋画部に入学し黒田清輝や和田英作に師事しました。卒業後は、郷里の桜川村に戻り蒲生野の風物を描き続けました。途中洋画をやめ、日本画家の平福百穂(ひらふくひゃくすい)に師事したこともありました。帝展で3度特選に選ばれています。また、野口画伯は優れた歌人でもあったといわれ、死後、友人で村内極楽寺の住職米田雄郎が遺歌集『凍雪』を編んでいます。

4km
  • 15分

万葉歌人・山部赤人が生涯を閉じた地と言われ、山部神社と赤人寺が隣接して建っています。
山部神社には、赤人の歌を刻んだ石碑があり、赤人寺には、国指定重要文化財の鎌倉時代に建てられた七重石塔が残されています。

0.6km
  • 10分

堀井新治郎父子は、明治27年大量に同じ文章を簡単に印刷できる印刷機のガリ版こと「謄写版」を発明しました。ガリ版の発明は明治期の印刷手段の一大革命となり、大学や商社・官庁・新聞・通信社の多くに活用されました。発明家として活躍した堀井父子の発明登録数は、550件にものぼります。この偉大な発明家を伝承する拠点として、堀井父子の住まいした本家洋館を「ガリ版伝承館」として開館されました。
 1階には、10人程度が利用できる体験室とビデオコーナーがあり、2階には、ガリ版1号機やガリ版器材の展示、ガリ版印刷物の展示、堀井謄写版年表がとりつけてあります。
 ガリ版の懐かしさとガリ版を知らない世代には新たな魅力を味わっていただける伝承館となっています。